深夜の赤信号は渡ってもいいか?
最近、やたら新書を読む機会が多い
平和主義がどうたらこうたらという本を読んでいたら、こんなのがあった。
あなたの愛人が殺されそうなとき、あなたはどうする?
この状況に対するあなたの行動パターンは2つ。
①加害者を攻撃(反撃)する
②無視する
これは、平和主義者にとって難題だと思われがち。
前者では喧嘩上等で平和の実現とは程遠いし、後者は舐められて今後も続く可能性大だ
国に当てはめれば①は戦争、②は一方的に攻撃される状態だ
しかし本書で言っていたのが、
「平和主義には様々な種類があり、中には場合によって非暴力ではない(=場合によっては暴力を容認する)ものあるので、この命題に何も嫌らしいことはない」らしい。
要するにこれは例外で、彼らの答えは ②反撃をすること。
ちなみに、この中には2つのトリックが隠されている。
第一に、条件には書いてないものの、あなたは既に相手を気絶または瀕死にさせるほどの力や道具を持っていることを暗に示している
第二に、「正当防衛」が認められる環境にあること
知らず知らずのうちに人は仮定をしている。
よって圧倒的に①派が多いことが容易に推測できる。
本題
最近はどうも自分は、視点を変えれば十とでも百とでも答えが出そうな問いを見るのが好きだ。
とコンビニに行く俺は思った。
深夜の赤信号って、渡っていいものなのか?
勝手な想像だが、会社員はYes、政治家はNoと言いそうだ。
会社員の意見を見てみよう(想像)
闇夜、車一台ない道路の前で突っ立っているのは、まさに時間のムダだ。自分の行動を優先してよい。眠いわ。
政治家の場合(これも..)
信号は交通秩序を保つためにあるものだから、いつ如何なるとき関わらず、守る必要がある。当たり前のこと。
これを見れば哲学に通ずるものがあると感じた。
まず、Yesの人たちはいわゆる「絶対法令主義者」だ。犯罪には決して手を染めず、正々堂々とい生きている。ニュースで流れる逮捕者の顔を見ながら、なぜそんなことをするのか、といつも頭を抱えている。日常から正義感が強い。
次に、Noの派閥だ。
ここはルールを守るというより、自分のポリシーに従った、というところだ。余分な時間などは必要なく、常に効率を優先するべきである。ましてや深夜の交差点、きっと誰も見てやしないだろう。こんなところで呆けている人は馬鹿そのものだ。
さて、あなたはどちらに属するだろうか
きっとたぶん後者派が多い(初見では)。
なぜなら、この命題にもいくつかのトリックが含まれているからである
- 車が通っていないこと
- 誰もあなたをみていないこと
- あなたが赤信号の間に渡れるほどの力量(時間、体力)があること
以上が暗黙の了解というやつである。
つまり、この命題は賛成反対に分かれるように見えて、実は片一方の多数派の存在が目に見えている。
俺はこの現象を「命題of心理誘導」と呼ぶ。
略し心誘
なんだそれ
ところで、世の中はこの心誘で溢れかえっているようだ
広告なんかは顕著だ
「このチャンス、逃せるか」と宝くじの看板にあったらそう思えてくるし、
英会話教室に「英語ができれば、世界は楽しい」と言えばそう思えてくる
も一回本題へ
もしこの題の最初の三文字を消して「赤信号は渡っていいか」とすれば、答えはただ一つNoである。
Yesと答えたあなた、それもまた一つの意見です
そんなわけあるか
止まれや
「深夜の」と加えるだけでこの問題は問題となる
迷宮入り
あんまりに結論にたどりつけないので
ググって見た
「深夜 赤信号」
するとあらまあびっくり
こんな書籍が出てきた
ふう、、
哲学者の答えがあるではないか、、
それもタイトルが一言一句同じだった。
リサーチ不足じゃ
個人的な意見
変人かもしれないが、自分は渡ってはいけないと思っている。理由をいくつか挙げる。
- さして時間は変わらないなら、法を破るメリットがあまりない
- まっすぐな生きていくという自分のポリシーに反する( ͡° ͜ʖ ͡°)
- シンプルに事故の危険性
以上
あくまで、自分の意見。許してね。
そういえば
田舎暮らしの筆者は、近所の歩行者信号はボタン式が多い。
つまり深夜において信号はずっと「赤」
横断するときだけボタンを押して青にするわけだから
結論としては
論ずるメリットがない&状況によりけり
結局自己判断じゃね?
最後まで読んでくれてありがとう。